スパシュニック松田 直子 さん
視覚過敏の傾向があり、子どものころは日光が眩しすぎていつも目を閉じた状態で写真に写っていました。また、下着(シャツ)の感覚も嫌いだったので、真冬でも下着を付けずに一年過ごしました。次の年には治っており、子どもながらに不思議に思った記憶があります。
(今にして思うと、「感覚処理能力が成長と共に向上していくこと」の体感でした。)
渡邊 裕子 さん
ずっといつも疲れていた。体力がないせいだと思っていたし、そう言われた。あちこちに興味が動き、体も心も止められず、落ち着きがないと怒られた。でも落ち着く事ができなかった。本当は自分も静かでいたかった。話している人も車も風も、何も悪くない。止めてほしいなんて思わない。ただ感覚の津波で溺れている時、「あなたの弱さ」って重りを更につけないでほしかった。理解の浮き輪が欲しかった。それだけで私はきっと、もっと広い海を自由に泳げたのに、自由に生きられたのに。
匿名 さん
産まれつき発達障害があり、物心がつく頃に両親に障害について聞いたら「そんな子を産んだ覚えはない」と言われました。学生時代は、ヒートテックの肌触り、サイレンの音、バナナの臭い・味・食感が苦痛でした。社会人になって、うつ病を発症してから感覚過敏が強くなり、遮光サングラスとマスクが離せない状態です。就職活動で障害特性を企業に説明しても、なかなか理解されないのが大きな壁です。
古海 充恵 さん
小学生の頃、姉が星が好きだからと連れて行かれたプラネタリウムで、いきなり暗転したことでパニックをおこしたことがあります。事前に言葉での説明がないとわからない、という特性があるからです。
井出 真紀 さん
精神科医23年目。ADHD傾向あり、仕事と4人の子育て中に少しずつ気づきました。敏感過ぎるから、感じないようにして、周りに合わせていたこと。体も心も苦しかった……やっと解き放てました。皆、自分らしくていい!
児童発達支援・放課後等デイサービス ぴっかむ さん
私は放課後等デイサービスを父と経営しております。妻が精神障害者手帳の2級を持っています。その環境で学べた知識があり、今になって思うことがあります。学生時代に教室に差す光が眩しく勉強に集中できなかったこと。校内放送の大きな音に自分だけが耳を塞いでいたこと。それでも私は大変軽度な過敏があったのかもしれないと思う程度ですが、今の仕事に触れ、感覚過敏に悩む子どもに十分な対応をできないケースがありました。通所してすぐは楽しく活動していましたが、日を重ねるごとに感覚過敏が強くなり、外を通る車の音で吐き気を催し、イヤーマフとサングラスをつけても刺激は緩和されず、私の施設の設備では対応することが出来ませんでした。
中尾 恵里花 さん
発達障害を抱えており、そのことは幼い頃から自覚していました。私はADHDとASDを持っています。これまでは感情をほぼコントロールできておらず、他者とのトラブルも多く経験してきました。今までたくさんの生きづらさはありましたが、しかしその分、良くも悪くも自分のこと、他者のこと、感情に対して敏感にいられたように思います。現在は服薬によりようやく落ち着いてきましたが、その分、世界がスローになり、ぼんやりとして見えるようになりました。人間関係はうまくいくようになりましたが、今までのような鮮やかな世界でなくなり、少し味気なさを感じてもいます。これまでとこれから、どちらの方が良いのかは人によるのでしょうが、今の私はまだ答えを見つけられずにいます。